前にも言いましたが、

お経とはお釈迦様が弟子に向かって話した教えを、

お釈迦様が亡くなった後に集まって

「あの時、お釈迦様はあ~おっしゃっていた」
「こうもおっしゃっていた」

と教えを集めて編纂したものです。
84000あると言われています。

お釈迦様の生きておられた頃のインドの言語は

『サンスクリット語※梵語(ぼんごとも言います)』でした

私が学生の頃、大学の講義で習いましたが、さっぱり分かりませんでした。
馴染みのない言葉を教わるのは難しいものです。

今、皆さんがお経と聞いて思い浮かぶのは、漢字が並んでいて、読みにくそうな文章だと思います。
実際、私たち僧侶が毎日読んでいるお経は漢字ばかりです。

お釈迦様の弟子が編纂した最初のお経はサンスクリット語。
そして私たちが読むのは漢字。

この違いはどこから来るのでしょう。

弟子たちによって編纂されたお経は、

商人や旅人の手によって、古代インドからシルクロードを経て中国に伝わりました。

そして、中国で漢字に訳されました。
当時はお経を漢訳することが、国家事業として多くの人の手によって行われました。
その先頭に立った翻訳家が、『西遊記』に出てくる三蔵法師です。本名は玄奘(げんじょう)と言います。

玄奘は翻訳に長けていました。ですから、サンスクリット語を漢訳する為には絶対に必要な人物だったのです。

より多くのお経を所有する為、
玄奘などの優れた翻訳家を手に入れる為、
そして、漢訳されたお経を巡って
当時は戦争が起きました。

そして、漢訳されたお経は日本に伝わるのです。

このお話は、また後日・・・。

「お経の言葉 その2 日本編」で・・・。